April 29, 2020

Horse Racing

競馬敬愛

フラストレーションだけでは終われない

競馬に畏敬

フェブラリーステークスが終わった日が、今現在、最後の競馬場へ往訪となってしまったことを今でも昨日のことのように思い出します。
「中山開催が終わったらね」と。

随分遠くに行ってしまったのだと思いました。
競馬を取り巻くものは、わたしの姿そのもので、それを誇りに思っています。
競馬は、年齢による勝馬投票券(馬券)の購入制限を除けば、誰もが公平に競馬場に行き、楽しむことができる娯楽です。
その公平な競馬を感じられなくなっていました。
女性客や家族総出で競馬場を訪れる光景もよく見かけるようになりましたが、それでも重賞レースの開催の1、2周間前からの待機の列、場所取りなど行き過ぎた行動も目に余り、どこまで「公平に楽しめる競馬」が「特定常連客の場所取り合戦」へ加速していくのか、楽しみだった競馬に恐怖や畏怖を感じることもありました。
この恐怖や畏怖のようなものは、新型コロナウィルスの感染拡大防止のための緊急事態宣言によって、無観客競馬開催になる少し前、2019年の秋の天皇賞ぐらいから、徐々に強くなっていました。


わたしの競馬場への往訪は、競馬に対する狂気だったとしても、誠意だったとしても、シンプルな行動です。
朝早く起きて、たったひとりで、応援に行くだけでした。
その競馬場には、約束をせずとも会える友人も何人かいました。
そして、応援したい馬、厩舎、ジョッキーにただ会いたくて、カメラを背負って、その日の天候気候に合わせてただ競馬場に向かうことがとても幸せで、その気持ちで満たされていました。


今現在、無観客競馬が行われるこの状況を、満足するものとは捉えていませんが、必然と捉えています。
競馬場で観戦する楽しみを再認識して、それぞれの行き過ぎた行動、加速したものに気づいて、実態を知るべき好機だと思っています。


竜ケ崎市

競馬場に行くことと、彼らを違う目線でも知るための方法のひとつとして、獣医師の手伝いのために茨城を訪ねる、タスクのような日課がありました。
この往訪も、3月の半ばをもって、一旦の休止を決めました。

ただ、獣医師の仕事はこの業界にとって必要なもので、わたしの手伝いそのものがなくなっても需要自体は変化もなく、人手は不足している状態です。
獣医師による診察、診療は、突如国が発表した法令や自治体の条例で変わるものでもないし、容易に代わるものはないし、容易になくなっていいものではありません。

うまくいかないことが、ひとつ、ふたつ、と、一気に増えてしまって、フラストレーションのスパイラル状態に陥りました。

この状態は快適ではありません。
快適ではなくても、不満を募らせることがとても愚かだと、自分の毎日を振り返り、思い気づく場面もいくつかありました。

負のフラストレーションは、そのままだと負のものでしかなくても、その反対に力を作用させることもできます。
負のスパイラルに陥りたくない、綺麗事だとしても、高いだけのプライドは、こんなときも妥協を許さず、前向きに作用しました。
この瞬間を直視すべきだと思い、留まることでできることもあることを知りました。


描くこと、書くこと

 

やることが減ってしまった分、肉体的にも精神的にも疲労することはなく、いや、ストレスで萎縮して疲弊して眠れなくなっていました。
数日前に、気がついたら手に鉛筆を持っていました。馬と人を描いていました。
無心でした。
朝起きて、幼稚園の通園バスがやってくる前に、新聞の折込広告の裏面にお姫様の絵を描き続けて止められなかった幼稚園時代の私と同じです。
描きたいから描くだけでした。

馬と人、馬に触れて、人馬ともに働き、毎日を感じて、一緒に見てきた世界や、その姿をそっと眺めてきた景色、これから見えるかもしれないもの、思いを巡らせることが、描くことでアウトプットできました。
なにかを我慢すること、我慢しないで行動すること、どちらがどうということでもなく、表現することが必要なときなのだと思いました。

文章を綴り、伝えるこのコラムをアップすることも表現することで、鉛筆で描くこととまた同じで、必然のアウトプットの形です。


どんな今も二度と訪れない今だけの今

今が楽しくても、今が悲しくても、今多くの人に囲まれていても、今たったひとりでも、その今は二度と返ってくることはありません。
やりどころがなくても、腑に落ちなくても、それも二度と訪れることはありません。

つい2週間前にターフを駆けていた馬がこの世界にいないこと、2020年の無観客競馬の東京競馬場でダービー馬が誕生すること、今こうしてコラムを綴っていること、どの瞬間もそのときにしかないものです。

過去を振り返り、未来を描く、それよりも、今を生きることが実感そのもので、その感覚がどれだけ尊いことかと、今を愛おしく思います。
愚かな自分もまた、尊い自分も、愛おしく思えることを、ひしひしと感じられています。

たったひとりの時間に、今を愛おしいと思って、これからの自分を愛おしいと思えるようにと、心から願い、感謝します。


部屋から見る窓際のサラブレッドの模型と青空

心から敬愛する競馬と、競走馬、馬主、調教師、厩舎陣営、主催興行主、業界関係者のみなさまに、ただひたすらの敬愛を。
ただ止まぬ憧れを、
ただ尽きない野望を、
ただ理由なき声援を、
ひたすらの敬愛を。


欲することよりも、在りたいために、在りたいことを示せるように、今を存分に生きようと思います。




Thanks everyday, thanks today.

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