馬の耳への思い
馬の耳は正直
今日は馬の耳(鼻)、そこから少し脱線したお話をさせていただこうと思います。
馬のことをもっと知っていただきたい、できれば好きになったり、気にかけてもらえる存在になってほしいと思います。
わたし個人は、馬の耳と鼻がすごく好きです。
馬の鼻は、赤ちゃんの肌と同じくらいしっとりと柔らかいのです、いつも馬には鼻チューをしてしまうくらい、とても柔らかいです。
きっとまだ知らない方も、好きになります。
馬たちは、青草や干し草を主食(人間ていうとこところの、お米やパンなど)としています。
彼らの鼻からは、その主食である青草や干し草のほんのりとかぐわしい(?)香りがします!
一方、馬の耳は、感情を表現するアンテナそのもので、表情豊かにイキイキとしていてとても賢くはたらき、そんな姿をとても愛らしく思います。
人間の表情(もちろん馬にも表情はあります)と同じようなものですが、表情の言葉どおり、表面上は誤魔化すこともできますが、馬の耳はとても正直で、嘘をつくと「嘘をついた」耳になります。
こんなところまで、本当に正直です、かわいいものです。
この下にある写真の馬は、たくさんの子どもや大人に囲まれて、触られています。
なぜ、こんなにも穏やかな表情を浮かべているのでしょうか。
このときの馬の耳は、精神が安定した状態にあることがわかります。
馬の耳は前を向いていて、極端に立っている状態でもありません。
人間によって躾けられ、人間と触れ合っていることを、自らの役割として理解しているからでしょう。
ただ、人間に慣れていない馬は、このように不特定多数の人間に囲まれると、萎縮してしまい、草食動物の「逃走本能」で、耳を縮めて威嚇するようにも見えてしまいます。
人間でいうところの、緊張状態、もしくは、少し怒っているような心理状態です。
この下にある写真がその状態です。
実のところ、威嚇ではなく、多くの場合
「嫌だよ」「こわいよ」
という心理状態にあり、攻撃的な気持ちはありません。
逃走本能に近い恐怖心があり、身を守るために噛みつこうとしたり、馬体を起こして脚を上げてしまうことがあります。
※ただし、種牡馬(シュボバ)など、種付けを行う馬たちは、立ち上がり、繁殖牝馬に種付けをすることはお仕事なので、威嚇や恐怖心とはまた別のものです。
一方、同じ馬ですが、時をほぼ同じくして、集中力ある一面をとらえている瞬間の写真もあります。
同じ馬であっても、耳だけでこんなに表情豊かに感情を表現、訴えることができます。
また、耳を伏せるよりは少し弱めの感情表現ですが、左右の耳をぴくぴくと活発に動かしているときもあります。
この場合は、少し集中力に欠けている状態で、不安であるという心理状態を表しています。
身体は大きいのに、とても怖がりで、些細なもの音にも敏感に反応、脚腰も痛めやすく、繊細な動物です。
草食動物なので、攻撃することで獲物を獲得して生命を維持するのではなく、身を守ること、変化に敏感であることでその環境に適応し、安定した食生活を確保して生命を維持していく生き物です。
基本的な性格はとても穏やかで、見ているこちらも癒しを感じることさえできます。
彼らと触れ合っていると、癒しの成分とされるオキシトシンが分泌、癒やしが得られるとされています。
馬や鳥など、とにかく動物が大好きな人間の一人として、馬たち動物自身も、人間に大事にされて、人間からオキシトシンや愛情を注がれることで癒されて、穏やかに生きてほしいと願っています。
馬の耳からやさしいミライを考える
彼らの存在は、ホースセラピーの観点からも注目されています。
前述したオキシトシンやタッチセラピーなどです。
また、改めて馬のことを見直してほしいと考えています。
使役動物としての役割からはじまり、戦国時代までは自国を統治する合戦で各国の武将たちを守り、一国を築き上げることの助けとなりました。
鎖国の解かれた時代には(正確には江戸時代末期)、海外の文化を受け入れる担い手として見直され、日本でも競馬文化が始まりました。
戦争の時代を迎えるときにも、富国強兵の一環として競馬が盛んに行われ、馬は激動の時代を生き抜きました。
終戦後の貧しい日本では、再び使役動物として、大きな役割を担いました。その時代に大衆文化として競馬は成長を遂げます。
現在はどうでしょうか。日常生活に必要な存在ではなくなりつつあります。
それでも、近代競馬や一部の産業で残っています。
馬たちの存在の大きさは、計り知れません。
わたしたちが日常で使っている言葉、漢字、文化(アート)でも残っています。
パソコンなどモバイル機器、学術にもバージョンや時代の波があるように、馬たち、わたしたちの生活もバージョンアップ、つまり、アップデートが必要です。
かつて、また世界中で生活を支える馬の姿、走るときの美しさ、馬の体温のあたたかさ、蹄で大地を踏みしめる軽快な足音、遠く響き渡る嘶き、牧草のかぐわしい香り、ものを見つめる大きな目、...
一緒に考えていただきたいです、馬のこと、
- 医療でともに歩むパートナーとして
- 時代に即した使役動物として
- スポーツやエンターテイメントとして
- アートや文化として
- 家族として
...
語るよりなによりも先に、目の前にいる馬たち、動物たちは逞しく美しい尊い生命体です。
わたしにとっての多くの場面では、馬が美しく見えるより、狂おしく愛らしいものとして存在しています。
きっとどんな時代にもあり方を変えて、人間の生活に寄り添ってくれる動物です。
愛するべき、愛されるべき存在でしょう。
理由なきこの思いを願いとして。
Thanks.