January 1, 2021
競馬や経済はどう見える?
競馬場で馬が走る景色、競馬場のスタンドが人で埋め尽くされる景色、無観客のパドックや観戦スタンドの景色、淡々と進められる国会中継の景色、異議申し立てで滞りつつ議事は進行していく景色、街に人が行き交う景色、人気(ヒトケ)のなくなった景色、どれも真の景色です。
これらの景色は、知らずのうちにその変化を比較して、見える景色から脳裏にあった印象やイメージも、なんの違和感もなく無意識で塗り替えられていきます。
自分の見える景色を無意識で支配されているだけでは、潮流の変化の激しい最近の世界ではあまり向いていないかもしれません。
同じ景色を見ていても、キラキラと面白く、多角的に、快く見ていたから、見える景色を変えていきたいと思います。
以下、競馬で見える景色です。
2020年の日本の中央競馬は、その開催を一日も中止することなく実施しました。
これが競馬の姿です。
医療従事者と同じように、競馬の厩舎厩務員たちは、一日でも空白となる日がなく、チームワークで毎日の業務をこなしています。
厩舎厩務員、騎手たちは、雨の日も、風の日も、猛暑日も、真冬日も、原則として稼働しています。肉体労働が基本で、身体が資本です。わたしたちが普段気にも留めない、彼らの日常、鍛錬で積み上げてきたことが、開催を継続させました。
過去にあった、競走馬に蔓延した馬インフルエンザの教訓も生かされました。
また、競馬の発売金(勝馬投票券(馬券)の発売金)から納める国庫納付金は、2020年に政府が特別措置として行った給付金関連、(医療)福祉関連事業など、競馬関連事業の枠を超えて即時資金源として、なくてはならないものとしてその存在が顕在化しました。
JRAは、TVCMや各種広告メディアで、競馬の宣伝活動だけではなく、馬術であったり、競馬を通じての福祉活動に触れたり、その収益があらゆる国の事業に貢献していると、積極的に打ち出すようになりました。
競馬はギャンブルの要素ばかりではないという、啓蒙活動へと舵を切りました。
馬は日本の歴史でも幾度となく登場し、わたしたちの人間の生活に密接に関わり、競馬は日本の文化振興、外交、国の財源にもなる役割を果たしてきました。
競馬が役割を果たしているならば、それを活かす人間のアウトプットが邪悪であったり、利己的なものであれば、半減どころか、消滅すらしてしまうかもしれません。
競馬が止まず、競走馬たちが走り続けるなら、経済も世界も止まりません。
彼らに敬意、敬愛を以て、同じように、他者に少しの思いやり、感謝の気持ちを持って、目まぐるしく遷り行く世界と毎日に向き合うことが、経済やそれぞれの毎日を支えていくでしょう。
景色はどこまででも豊かになります、見たい景色は奥行きと深みのある美しい景色、それを見出したいものです。
取捨選択を繰り返すのはなぜなのでしょうか。
2020年に起きたことは、平穏な日常を維持継続することはできませんでしたが、変わっていくことで破壊されるのでもなく、それぞれにあるはずの豊かさを教えてくれました。
わたしたちは、日々の豊かさを忘れてはいないでしょうか。
考えることができて、それを体現できる豊かさです。
他者に比することもなく、歳を重ねるごとにレイヤーが増え、その人にしかできない唯一のアウトプットになります。
2020年の有馬記念も、それぞれに思いを乗せて走り、それぞれの人にとって全く違う彩りを見せた唯一無二のレースになったのではないでしょうか。
取捨選択を繰り返し、止めない理由は明確です。
変わらなければ退化してしまうこの時代に、それぞれが未だ見ぬ唯一無二に出会うためには必要なことだからです。
リスクは何にでもつきものです。
そのリスクを追い越すように、追い越すまで取捨選択を止めなければ、必ずそれは巡って、還るべき場所へ還っていくはずです。