一番前を走りたい
本能が支えるもの
走る歓び
今日は、わたしにとって、大事な日でした。
その日は3場開催の日曜日(偶数開催日)で、中京競馬場に、同一冠名(同一馬主)の馬たちが、同一の厩舎から、それぞれの異なるクラスのレースへの出走が確定していました。
この数頭の中に、応援馬の出走が確定していて、休養明けの2戦目を迎えます。
彼は、復帰初戦の前走は、掲示板を確保できませんでした。
1年半以上に及ぶ休養後の初戦は、気持ちと馬体の状態噛み合わず、溜め込んだ末脚がうまく機能ない競馬になってしまいました。
末脚は残していましたが、ゴール前で息切れしてしまったようで、ほかの馬に相対して目立つ末脚を見せることができませんでした。それでも前を追うことを止めず、ゴールの先まで突き抜けていきました。
結果は完敗ですが、気持ちは前向きで、馬体も既に該当クラスで勝ち上がれる水準までは戻っているような気配は感じられました。
そして、次なる復帰2戦目の登録、出走が確定しました。
このレース直前の追切では、G1レース出走馬との併走でしたが、そのG1レース出走馬よりも鋭い動きを見せていました。
追切の中盤から終盤にかけてのストライドの長さ、
前肢を前に出す角度、
滑らかな駆動、
ブレない体幹、
ハミ受けと首の座りの具合、 ...
これらがすべて噛み合っている、バランスのいい状態でした。
彼自身がとにかく元気いっぱいで、メリハリのある動きを取り戻して、目や耳などもいきいきとしていて集中力がある状態で、表情全体にも、気合のりのよさが表れていました。
彼の魅力は、走りたいという本能が圧倒的に強いことにあります。
走りたい本能が、心身のバランスを司る中核で、彼の馬体と携えている潜在能力と精神を、バランスよく保ちます。
優れたテクノロジーを搭載した”本能”というエンジンが、均整のある機構を設計、実現している車のようなイメージです。
走ることが生き延びる術であって、歓びそのものでもあります。野生の本能がそのまま生かされる形です。
「走りたい、誰よりも前を、一番前を走りたい」
この湧き出る熱量こそが彼の才能、素質です。
言葉で言ってしまえば簡単なことですが、これを体現できている馬は多くはないと思います。
騎手との関係
このレースでの騎乗を務めてくれるクリストフ・ルメール騎手は、前日開催の悪天候での騎乗と他場への移動、連日にわたるG1レース騎乗や歴史的偉業達成へのプレッシャーからの開放で緊張の糸が切れたのか、体調は万全ではない様子でした。
プロフェッショナルたちは、どのような局面においても、フィジカルもメンタルも管理、コントロールすることが求められます。
この日、クリストフ騎手は、最終レースを残して勝利はありませんでした。
レースが始まり、その序盤では、前団の3番手という絶好のポジションにつけました。
ここからレースは流れました。
ゴール前2ハロンから繰り広げられる1、2着争いで、彼と先頭を走るもう一頭との叩き合いになりました。
この騎手らしい本来の歯切れのいい騎乗ではなかったかもしれませんが、鞭を何度か入れられてからは、馬も「今日は負けないよ」と、競り合いで引き下がる気配はなく、そのまま叩き合いを制して鼻差の先頭ででゴールを駆け抜けました。
ゴールの瞬間、少しだけ穏やかに流れる時間と緩みを感じたレースでした。
「ボクがちゃんと差し切るからね」
と、鼻先の差で差し切ることが得意なこのジョッキーの言葉を代弁しているような競馬でした。
ダイナミックなこの馬らしい本来の走りとは少し違うように感じましたが、激戦続きで疲れ切った騎手を気遣いゴールまで誘う、やさしさのようなものも表れた走りでした。
これもまた、
この馬の、彼の、
強くて、あたたかくて、やさしい、本当の姿なのかもしれません。
馬徳(人徳)
強くて、もろくて、馬らしくて、馬らしくない、経年変化で心身ともに成長していく、想像もしなかった競走馬の姿に、漠然と心動かされました。
彼は、生きていることを素直に歓んでいて、その歓びを走ることで表現できて、それを活かせる環境に恵まれていて、彼自信が自分の役割を全うしていて、それを人間側も知っていて ...
この一連となった環(わ)は、彼の人徳ならぬ馬徳です。
彼がまたたくさんの人たちに称えられる日が来たことに、ただ立ち尽くし喜び、感謝の言葉しかありません。
感謝の気持ちを還し巡らせるように、彼と一緒にもっと上を目指します。
彼が自分の役割を果たすように、わたしも自分の役割を果たしたいです。
たくさんの人が、彼らの姿に感動して、それがその先にあるまた別の人に繋がって巡っていきますように。
彼の一番前を走りたいという姿は、たくさんのものを支えています。
Thanks.